2011年7月20日水曜日

二つの涙

10ヶ月にも及ぶ全社戦略立案支援プロジェクトを無事完遂し、クライアントに催して頂いた打ち上げへ。クライアントより、支援が無ければ完了できなかったとの感謝の言葉を頂き、また社内でも十指に入るくらい会社のことをよく知っている、とのお褒めの言葉を頂き、報われた気持ちから帰りの電車で涙を流す。

ちょうど二年前の今頃は正反対の涙を流していた。

今とは別のファームに居た当時、1年にも及ぶ業務改善プロジェクトに疲弊し切り、途中でドロップアウトすることとなった。長期間の深夜退社と休日出勤で心身共に消耗し、その上人事上のマネージャーからはそれでも仕事量が足らなく甘えに過ぎないと叱責され、現場のチームリーダーからは自己管理が出来ていないと非常に低い評価を付けられた。「東京に出てきて1年、こんなにも働いたのに、行き着いたのはこんな結末なのか」と考えるとあまりに悔しく、クライアント社屋近くの公園で大声をあげて泣いた。

思えば、あの二年前の墨を飲むような屈辱と流した涙が、今日の涙まで至る原動力となってくれた。今の自分にとって、この二つの涙は同じくらい重要な資産となっている。

2011年7月3日日曜日

技巧の形跡から推し量るレベルの高さ

Jay Rubinが英訳した村上春樹「ノルウェイの森」を読んでいると、素敵な翻訳がなされた箇所を発見。

「『グレート・ギャツビー』を三回読む男なら俺と友達になれそうだな」。
このセリフが、次のように訳されていた。
"This man says he has read The Great Gatsby three times," he said as if to himself. "Well, any friend of Gatsby is a friend of mine."

文学にも英語にも疎い素人としての意見だが、この"Well, any friend of Gatsby is a friend of mine."へのtranslateにプロの仕事を感じた。言語の違いの背後にある文化の違いが、実に簡潔に表されているように思う。